旅客船 平良ー佐良浜
・フェリーはやての遭難
2003年9月10-11日に宮古島に大きな被害をもたらした猛烈な台風14号。はやて海運の「フェリーはやて」も被害を受け、停泊中に生じた外板のヘコみを修理をするため沖縄本島・糸満港への回航を決めた。
[9月18日午前9時]
宮古島の遥か南、パラオ諸島の北北西海上で発生した熱帯低気圧は台風15号となって北北西に進んでいた。今後はこのまま遅い速度で西北西に進み、フェリーはやてが向かう宮古島~沖縄本島間の航海には影響はないものと思われた。
[9月18日昼]
台風15号の発生を知ったはやて海運本社と「フェリーはやて」の船長は宮古島地方気象台下地島空港出張所から台風15号の予想進路図を入手。検討をしたところ、「フェリーはやて」の速力と沖縄本島・糸満港までの距離を考えると18日夕方までに出航すれば翌19日午前には到着可能なため、台風15号の影響はさほど受けないだろうと予測した。
佐良浜に停泊するフェリーはやて。
[9月18日午後3時]
台風15号は中心付近の最大風速が風速23メートル、990ヘクトパスカルと勢力を増しつつ、その進路を北にとり始めた。
[9月18日午後]
慌ただしく出航の準備をする「フェリーはやて」。台風は当初の予想進路図の通りに進むと考えていた彼らは忙しさのためか進路を変更しつつある台風15号の情報には気をとめなかった。
[9月18日午後4時30分]
沖縄気象台は沖縄南方海上に暴風警報を発令。台風15号はその勢力範囲をさらに拡大させていた。
[9月18日午後5時]
乗員7名が乗り込んだ「フェリーはやて」は約290km先の糸満港をめざし、平良港を出航した。機関を全速前進にて速力11.5ノットで宮古島の西岸を北上。
[9月18日午後8時]
宮古島の北約45km。次第に風が強くなり、波は2.5メートルから3メートル。しかし航行に支障はないと判断し沖縄本島・糸満港に向け、進路を定めた。波浪の衝撃を少なくするために速力は8.5ノットに減速。
[9月19日午前0時]
波は3メートルから3.5メートル。風もさらに強まる。はやて海運本社と定時連絡をとった船長はここで初めて台風が予想進路と異なり、「フェリーはやて」を追うように北上していることを知る。しかし速力を考慮すれば糸満に辿りつけると考え、航行を続けた。宮古島と沖縄本島の間には避難できる島は無い。
[9月19日午前2時]
漆黒の闇の中、激しい高波が「フェリーはやて」の船首を打ちつける。フェリーは前部が開口式になっており、通常ではここから浸水することはないが4.5メートルの波高で少しずつ海水が車両搭載甲板に入ってきた。甲板には排水口が設けてあるがこれらにゴミが詰まってしまい、甲板上深さ15センチまで浸水。乗組員は激しく揺れる車両搭載区域の中でゴミの除去に追われた。
[9月19日午前5時]
船長は速度を5.5ノットにまで落とす。船の傾斜角は10度にまでおよび、乗組員が車両搭載甲板に入るのも危険な状況となる。浸水は深さ30センチ。速度は2.5ノットに減速した。
[9月19日午前7時30分]
はやて海運本社と船長が連絡。万が一に備えて、海上保安庁の船舶による並走を要請。第十一管区海上保安本部はヘリと巡視船を出動させる。
[9月19日午前8時50分]
波は6メートル。台風15号は「フェリーはやて」の背後に迫っていた。海上保安庁のへりは大しけの中、航行するフェリーはやてを発見。午前9時30分にはヘリから排水ポンプを降ろす。しかし浸水は1メートルに達し、傾斜角は15度となり、右舷に傾斜したまま船体は復元しなかった。
[9月19日午前10時20分]
はやて海運本社と船長は船体放棄を決める。自衛隊ヘリにより乗組員3名が救助され、残った船長は脱出の準備を進めた。午前11時10分、はやては機関を停止。船長と乗組員3名もヘリで救出される。猛烈な風雨と高波の中、無人となったフェリーはやてはゆっくりと左舷に回頭しながら漂流、台風の中へ消えていった・・・。
[10月3日]
海上保安庁の航空機が石垣島の南約70kmで漂流している船舶を発見。それは2週間前に消息をたった「フェリーはやて」だった。台風の中、転覆や沈没もせず流されること南に約400キロ。宮古島を超え石垣島で発見されるとは誰ひとりとして想像をしていなかった。強運の船、フェリーはやて。