PEARL of the EAST CHINA SEA
アメリカが統治していた時代の宮古空港。看板にはPEARL of the EAST CHINA SEA、「宮古島国際空港、東シナ海の真珠」と書かれている。深緑の絨毯のように広がったさとうきび畑、真っ青な空と白い砂浜、エメラルドグリーンの海・・・初めて宮古島を訪れたアメリカ人の目には島の風景が美しい真珠のように写ったのだろう。
1961年(昭和36年)12月、宮古島空港にて。一番右がサムエル・H・キタムラ氏
沖縄で最も美しいビーチ、宮古島の与那覇前浜。
与那覇前浜の先には来間島が見える。
1963年(昭和38年)4月2日の宮古島空港。駐機している機体はCivil Air TransportのカーティスライトC-46。Civil Air Transportはアメリカが支援して設立された台湾ベースの輸送会社。東南アジア各地を飛んでいた。
1961年(昭和36年)10月。空港ターミナルとアメリカ空軍の消防車。
アメリカ陸軍のBeech Twin Bonanza機で来島したジョン・オンドリック民政官と花束を持って出迎える女学生。1959年(昭和34年)8月20日。
1959年(昭和34年)8月24日。伊良部島・渡口の浜。後ろは下地島との間にある入り江。遠くに見えている橋は「伊良部橋」
上の写真の撮影地点からカメラを右に向けると渡口の浜の全景が見渡せる。
伊良部島と下地島にかかる橋の中で一番南に位置したのが伊良部橋。海水浴をする人々、橋の右隅には馬が見える。1959年(昭和34年)8月24日。
上の写真と同じ地点から撮影した現在の入り江。伊良部橋は新しい橋へ架け替えられた。撮影者の背後には昭和49年に架けられた乗瀬橋(ぬーしばし)
2015年現在、新しい橋を建設中で完成予定は2017年。