伊良部島 夜話
その1 乗瀬御嶽
伊良部島のスーパーマーケットでバイトをしているA君。ダイビングが好きで本土から
移り住んできた。この日、バイトが終わったのは夜10時。なんとなく夜の海が見たくなって
自転車を走らせ、「渡口の浜」に向かった。
本土では神様は身近で神社は気軽に入ることができる場所。
しかし沖縄の御嶽は入ってはいけない場所が数多くある。
「渡口の浜」にある乗瀬御嶽(ぬーしうたき)も通常は入るのを避けなければならない場所のひとつ。
伊良部出身のB子さんは子供の頃、「夜は渡口の浜へ行ってはいけない」
と親から教えられたと言う。そこには乗瀬御嶽の神様がいるから、という理由だった。
夜に神様の領域に入り、無礼なことをすれば、本土だと「バチが当たる」と表現するだろう。
しかし沖縄では「災いが起こる」とまで言う。神様は恐れ多い存在、日本本土と比較すると
神と人との距離感がまったく違う。
そんなことはまったく知らないA君。渡口の浜に向かうべく、自転車を走らせた。
周囲は真っ暗で、わずかな月明かりが伊良部島と下地島の間の入り江を照らしている。
乗瀬橋のたもとからは、渡口の浜へ向かう道が伸びている。浜辺までは約300メートル。
右に入り江、左に森を見ながら浜へと向かう。未舗装の道は砂で埋もれているので
入り江側に設けられたコンクリートの堤防の横を進む。堤防の横は幅2メートルくらいのコンクリートの道になっていて自転車も楽に走ることができる。
しかし、あたりは真っ暗。積もった砂でハンドルをとられて転んでしまうこともある。
A君は自転車を降りて押していく。
しばらく進むと左手の森に乗瀬御嶽の鳥居がある。あたりはわずかな月明かりのみ。
鳥居の奥、森の中にある乗瀬御嶽は漆黒の闇が広がっている。
乗瀬御嶽の正面を通り過ぎるA君。
A君はそのとき、鳥居の少し奥、漆黒の闇を背景に、人が立っているのを見た。
鳥居までの距離は25メートルくらいだろうか。こんな夜遅くにいったい何をしているのだろう?
自転車を押しながら目を凝らして見ると、それは背がとても高い、若い女性。
暗いのではっきりと顔は見えないが、美しい女性であることを直感した。
きっと誰かと待ち合わせかな、と思ったA君。美人と夜のデートか、うらやましいな、などとも思った。あまりジロジロ見るのも失礼かと思い、A君は会釈をして通り過ぎた。背の高い女性は昔風の着物を着ているようだった。
帰り道、女性はいなくなっていたのでやはり待ち合わせだったんだな、と思い、A君は帰宅した。
A君はこのことを翌日バイト先のスーパーで皆に聞かせた。
その話を聞いていたパートの女性が何やら驚いたような顔をしている。
ある人に、その話を聞かせてほしいと言う。しばらくすると、年配の女性が
わざわざスーパーまでやって来た。後日聞いたところによるとその女性はユタとのこと。
A君の話をひと通り聞いた後、驚きもせずにお礼を言って帰っていった。
乗瀬御嶽の祭神は「玉メガ」という女性の神様。「玉メガ」は背が高く、若くて美しい女性だと言う。
[この話は実話です。
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